Every day is a New Adventure.

おれの人生。おれが主人公。

コロナ禍に思うこと 〜 「ペスト」を読んで

ペスト(新潮文庫)

新型コロナウィルス

新型コロナウィルスの感染拡大が止まらない。1/9(土)7,844人、1/10(日)6,090人の感染が日本で確認されたとのこと。
f:id:mroreself:20210111224428p:plain
Source:新型コロナウイルス感染症について|厚生労働省

これまでの、GoToの実施やその中止に至る経緯のなんでこうなっちゃったの感、人々には自粛を求める一方で、政治家のお食事会がひらかれてる*1、イギリスから帰国して健康観察期間中なのに会食をしてコロナ変異株をうつす*2など、どうしてそうなってしまったのかと思うことがたくさん起きているように感じる。

今回のお話 ~ 小説「ペスト」から今おかれている状況と今すべきことを想像する

新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、日々の報道も雑談も、コロナの話題だらけ。
そんな日々のなか、1947年にフランスの作家アルベール・カミュが発表した小説「ペスト」の存在を知った。

この物語の舞台は194x年のアルジェリアの都市オラン。人口20万人のこの都市でのペストの発生から終息までに起きたこと、それに対しての人々の対応・反応(政府、医師、一般人(感染者、家族、ほか))が描かれている。
まさに今世界で起きていることに通ずるものがあると感じたし、これから先起きうることとそれに対しての対応は、この物語から学ぶものがあると感じている。

なので、今回は、この小説「ペスト」で描かれていることと、今の状況を重ね合わせて、これから起きること、いま何をするべきなのか(するべきでないのか)を考えたい。

小説「ペスト」の感染から終息までの流れ概要

小説「ペスト」から感染から終息までの流れの概観をまとめる。

194x年4月16日

事象

医師リウーが、ネズミの死骸を見つける。

4月17日

事象

廊下のまんなかに血だらけのネズミの死骸を3匹見つける。悪ふざけをするやつらのしわざだと門番はリウーに言う。
その後次々と死んだネズミが見つかる。

4月28日

事象

市街全域で同様のネズミの死骸が見つかり、8,000体にもなった。

4月29日

事象

リウーは高熱を出して倒れた門番を診察し、リンパ腺の異常を所見する。門番は死亡。

某日

医師

わずか数日の間に死亡例が累増。ペストかもしれないと思いながらリウーは、目の前で苦しむ患者に対応。

政府

リウーは保健委員会に、この病を放置すれば二カ月以内に市民の半数が死滅させられる危険があるとして、その場で警戒措置を講じるように進言。医師会長は、検査結果が明白になるまで決定は保留すべきと。

某日(会議の2日後)

政府

市内の目立たないところに、世論を不安にさせまいとする配慮から、「悪性の熱病の若干例が発生した。実際に不安を感じさせるほどの特徴はないし、市民が冷静を保ちうるであろうことは疑わぬところである」。その前置きのもと、市民に対して極度の清潔さを奨励する等、いくつかの予防的措置を講じる。

某日(死亡者の数が30台に達した日)

政府

植民地総督府より街の閉鎖を求める公電が、知事のもとに送られてくる。「ペストチクタルコトヲセンゲンシ シヲヘイサセヨ」。市の門は閉ざされ、人々の出入りは一切禁じられる。食料と生活必需品のみが、陸路と空路で届けられることになる。

市民

ペストがすべての市民の事件となる。それまで市民各自は普段の場所でめいめいの業務を続けていた。自分たち全部が、すべて同じ袋の鼠であり、そのなかでなんとかやっていかねばならぬことに一同気付いた。
外部との手紙のやりとりが禁止、市外電話も混雑を引き起こすため緊急な場合だけに制限。商業もまた死んだ。

いつ終わるとも知れない追放、極度の孤独の状態に戸惑い苦しむ。正確な知識がないこともあって、憂慮すべき出来事には違いないが、一時的なものだという印象を持ち続ける。相変わらず、カフェのテラスで愚痴より冗談を多く言い、努めて冷静さを装おうとしている。

閉鎖後

事象

第三週には死者300名を超える。

政府

食料の補給を制限し、ガソリンは割当制になり、電気の節約も決められる。

市民

死によって家族と切り離された人々にとって、その悲痛はリアルで逃れがたいものに。
突然の閉鎖によって、外部の大切な人との接触が断たれてしまった人々にとっても同様。
なすことのなくなった人々は、失業をしているというより、まだ休暇を取っている気分でいる。どこかに心痛を抱えながらも、そうした大勢の人々が街頭や映画館に群がる。あるカフェが「純良な酒は黴菌を殺す」というビラを掲げたので、アルコールは伝染病を予防するというのが一般の意見のなかで強まり、毎晩二時頃、カフェから追い立てられた相当の数に上る酔っ払いたちが街頭に溢れ、しきりに楽観的な言葉を喚き散らす。

6月の終わり

事象

死者の数が週に700名近くになる。

人々

街には沈痛な空気がみなぎる。
ラジオは、もう週に何百人と死亡数を数えるのをやめ日に何人というように報じるようになる。100は900に比べて大きな数ではない。
人々が不測の感染を予防するものとして買い求めたため、ハッカのドロップが薬屋から姿を消す。

志願の市民による「保健隊」を結成。疫病と戦うためになすべきことはなさねばならないという覚醒と勇気を、一部の人々の間にもたらす。

8月半ば

事象

死者の数が頂点を記録し続ける。

人々

自分自身の苦痛を集団的な不幸と同一視するようになる。特に被害のひどい地区が区域ごと隔離される。そこの住民は、弱い者いじめをされてるような気持ちを抑えることができなくなる。他の地区の居住者は、自分たちよりもさらに自由を奪われている人々がいるのだということに、一つの慰めを見出す。

火事も頻発する。家族を亡くした悲しみと不幸に半狂乱になった人々が、ペストを焼き殺すような幻想に駆られて、自宅に火を放つ。街とその外部をつなぐ門も、夜に何度となく襲撃される。そして、火災を被った家屋や閉鎖された家屋に対する略奪、それに追随する者も現れる。

市民は、不幸と苦痛の態度をとっていたが、実はその痛みはもう感じられなくなっている。絶望に慣れてしまう。
恋愛と、さらに友情の能力さえも奪ってしまう。というのも恋人や友人への愛情は未来への気持ちをいくらか必要とするものであるし、かれら自身がもはや、いまここの瞬間を生きざるを得なくなっている。

9,10月

事象

ペストは変わらず猛威を振るい続ける。

人々

数十万の人間が、いつ果てるとも見えぬ週また週の間を、足踏みし続けている。
人々はただ、食料品店へと続く長蛇の列に辛抱強く並んでいる。あらゆるものの値段が上がり、生活必需品が欠乏している。

医師

保健隊の人々は、こなしきれない疲労を実感している。治療法がない以上、診察することしかできない。ペストの判定をして、病人を家族から強制的に引き離して病院に移し、残された家族も他への感染を防ぐため、ホテルなどを改造した市内の隔離施設に移動させる。これは救済ではなく、医療従事者の本望ではない。医師リウーは、ペストとの戦いは「際限なく続く敗北」であると認める。しかし、死との戦いを決してあきらめることはなかった。

11月

事象

頂上平坦線と呼ばれる状態に達し、死亡者数の増加がみられなくなった。10月末に最初の血清が試された成果だと考えられた。しかし、ペストは寒冷の気候の中でもおさまる気配を見せなかった。

人々

今後はペストは衰退するばかりだという見方をする者も現れる。しかしそうした医師でも、その衰退がいつ始まるかは予見できなかったし、その医師もまたペストで命を奪い去られる。
人間はあんまり待っていると、もう待たなくなる。人々は未来の無い生活を続ける。

12月末

事象

ペストの最初の退潮の兆しが見え始める。亡くなると思われたリウーの患者の1人が、奇跡的に回復する。やがてその週のうちに同じような症例がいくつか出てくる。生きた鼠が現れだす。当局の統計は疫病の衰退を明らかにしている。

人々

人々はあわてて喜ぼうとはしない。過ぎ去った幾月かは、かれらの解放の願いを増大させる一方、用心深さも教えており、疫病が近いうちに終息することなど、当てにしないように習慣づいている。しかしこの新たな事実はすべての人々の口に上り、心の底には健康の時代、語られぬ大きな希望が波立っていた。

1月

事象

3週にわたり、ペストの患者数は連続的に下降を続ける。

政府

当局も最初は遠慮がちだったが、やがて勝利が確認されたことを伝えるようになる。

人々

街角では、人々の顔つきがゆるみ、時にはほほえんでいることが観察できる。その時人々は、これまで誰も微笑んでいる者はいなかったということに改めて気づく。

1月25日

政府

当局はペストの終息を宣言する。ただし市の門はなお2週間閉鎖されたままとし、各種の予防措置は1か月継続する旨も付け加えられる。

人々

この日の夜から11時の消燈も解除され、灯のともされた街頭に、人々は賑やかに笑いさざめき、群れをなし繰り出す。
その時も息を引き取ろうとした患者はいたし、隔離施設で解放されるまではまだ待たなければいけない境遇の者もいる。しかし、街に溢れる集団的な喜びは空気の色を一変させる。

2月

政府

市の門が開かれる。

人々

盛大な祝賀行事が昼間にも夜間にも催された。
町には、再会を喜ぶ人、再会を果たせなかった人、亡くなった者の思い出に身をささげている人とがいた。

所感

この物語のペストと昨今のコロナとでは、感染範囲(1つの市に閉じた話か全世界か)、致死率(100%に近いか数%か)や、人口に対するインパクト(20万人の都市で月に何千人と亡くなっているか(人口比数%))、終息までの波(1つの波か何回も続いてしまうか)、仕事のできる環境(いまの仕事ではリモートでも仕事を進められることが多いなど)など、違う点が多々あるが、いくつも共通点があるように思う。

①事態は一気に悪化する

今回のコロナウィルスについても同様のことが言えるが、初動がとにかく大事だということを改めて感じた。
限られた人しか知っていない状況で、いかに感染を封じ込める対応に舵を切れるか。「ペスト」の世界では、死亡者の数が30名に達したときに市を閉鎖したが、このタイミングより早ければ(例えば医師が進言したタイミングで)より早く封じ込めることができた可能性があるし、一方で、このタイミングでもなおそういった対応をしなければ感染者は増加し、また他の地区へと広がっていたに違いない。
とはいえ、限られた人しか知らない状況で、厳格な意思決定をくだすのは、物語内でも語られる人々のパニックへの懸念や、そうではないかもしれないという楽観的な考えがそれを妨げる難しさがあることも理解できる。

コロナ発生時の武漢の対応はそういう意味では素晴らしかったのかもしれない。また日本や各国の対応は誤りだったのかもしれない。(世界各国で起きてることと、波のように引けども増える状況を見るに、中国だけがコロナを終息できているとは思えないのだが、、)

強力なリーダーシップが無ければウイルスの脅威に平伏さざるを得なくなるということの恐ろしさを感じる。一方で、すべての人々の問題へと発展した以上は、すべての人々が一丸となってウイルスに勝つための戦いをしなければいけないと思う。

②需要と供給が狂う

物語の中では、市外からの調達が制限されることと、市外への移動が制限されることで、需要と供給のバランスが崩れた。たとえば、食料品店へ入るためには長蛇の列に並び、あらゆるものの値段が上がり、生活必需品が欠乏した。また、人々が不測の感染を予防するものとして買い求めたため、ハッカのドロップが薬屋から姿を消した。

現実では、食料品など生活必需品の欠乏や物価の高騰は見られていないが、初回の緊急事態宣言が出たころは町のコンビニすべてからマスクが消え、マスクが高値で転売されるようになり、転売が規制されることがあった*3。道端で1箱5,000円など法外な値段で中国語で書かれているマスクを売っている人も見たことがある。また任天堂スウィッチやリングフィットアドベンチャーなど在宅需要の高まりを受けた商品もまた、転売により高値で取引されていた。つまり同様のことが起きていた。

一方で、狂った需要に対して対応する企業には頭が下がる思いすらする。新たにマスクの製造ラインを作った会社や、オンライン会議のサービスを提供する会社など。そういった社会課題の解決に寄与するビジネスは素晴らしいと思う。

③ウィルスは人の分断をうむ

また、ウィルスが人と人との多くの分断を生むということを改めて強く感じた。

その分断は、知る者・知らざる者の分断、人と人との距離的な分断、罹った人・その家族(濃厚接触者)・それ以外の人、仕事を失う者と失わない者、感染がひどい地域とそうではない地域、楽観者・悲観者や自分を守る者・他を攻撃する者の分断を起こす。

知る者・知らざる者

知るものは生死の局面にあって戦い、知らざるものは感染者・死亡者と言った数や公開された情報しか知らず、正しい動きをしない。
全ての人々に、このウィルスによって起きている現実を正しく知らしめられることが、ウィルス封じ込めの前提として必要なのではないだろうか。

人と人との距離

人から人への感染を防ぐため、人と人との距離が広がる。三密を避けるようになり、人と人とが接しなくなる。物語の中では恋愛や友情の能力する奪われた表現があった。現在は、コロナになってマッチングアプリのダウンロード数が増えているとも聞く*4。能力は奪われていないようにも見えるが、それはきっと一部であって、家族や信頼できる相手が身近にいない人にとっては極度の孤独を生んでいるに違いない。

罹った人・その家族(濃厚接触者)・それ以外の人

物語の中では、罹った人は死に、その家族(濃厚接触者)は隔離され死に目にも会えない。それ以外の人はそのようなことが起きていることを公開された情報以外で知り得ない。(物語の中では大量の人が亡くなり土葬が大規模に行われることで多くの人は、現在よりもリアルを目の当たりにしていたのではと思う)

現実でも、自粛が叫ばれる中、忘年会・新年会等でコロナに感染した人も多いに違いない。果たして、その飲み会に興じているときにも、ウィルスと戦っている人(感染者であれ医療従事者であれ)、その戦いに勝つことを会えずして祈っている人(家族など)、自身への感染を気にしてる人(濃厚接触者)がいること、そして自身が感染を拡大させ、誰かの命を奪うきっかけになるリスクがあることを正しく理解できているのか。正しく理解できていれば、いまはそのようなことはできないのではないかと思う。

仕事を失う者と失わない者

ウィルスの感染拡大により仕事を失う者(物語の中では贅沢品など。現実では飲食店、旅行業など)と、失わない者(物語でも現実でも政府など)とが生じる。
仕事を失った人が今どのような気持ちで日々過ごしているのか。最近行きつけだった飲食店がコロナの影響で閉めることを知った。店長や店員にはとてもよくしてもらっていたので、その心中を思うと、ほんとうに重い気持ちになっている。そういった仕事を失ったものに対してのケアが必要だと思うし、仕事を失わない政治家が税金か何か知らないけど飲み会してる場合じゃないと怒りを感じる。飲食店はいまは難しいかもしれないが、いざ再起をかけるタイミングには国として後押しをしてほしいし、また行きつけにしたいとも思っている。

感染がひどい地域とそうでない地域

物語では、感染がひどい地域は規制が敷かれ、その地区の居住者は弱い者いじめをされてるような気持ちを抑えることができなくなっていた。他の地区の居住者は、自分たちよりもさらに自由を奪われている人々がいるのだということに、一つの慰めを見出していた。
現実においても、一時期GoToによる東京都の除外などで地域別の不平等感*5や、地方に帰省したときに近隣住人から非難を受けた例*6などあったが、その後GoToの対象にしてからの人の動きと感染拡大の因果関係や経済への影響など含めて、濃淡をつけた対応と画一的な対応のいずれが正しかったのか検証されるべきと思う。

楽観者・悲観者、自分を守る人・他を攻撃する人

物語の中では、家に閉じこもる人もいれば、「純良な酒は黴菌を殺す」と酒を飲みまくる人、はたまた火を放つ人、街とその外部をつなぐ門を襲撃する人、そして、火災を被った家屋や閉鎖された家屋に対する略奪、それに追随する者も現れていた。
現実には、コロナが理由になるような放火や略奪についてのニュースは聞いていないが、インターネット上における個人への匿名での攻撃や、それを苦にしてかの芸能人・有名人の自殺が多く起きている気がしている。このコロナによって、さまざまなことが制限されストレスが溜まりやすい状況下にあることはすごくよくわかるが、そのストレスの矛先を他人に向けるのは絶対やめるべきと思う。

ペスト(新潮文庫)

ペスト(新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 発売日: 2017/03/10
  • メディア: Kindle版

最後に、医療従事者の皆様、本当にありがとうございます。
一市民として、1日でも早くこの状況から脱せられることを祈ると共に*7、一社会人として、この状況を少しでもよくできるようなことをしていきたいと思う。

続く

Sponsored Link