いのちの根
なみだをこらえて かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに くるしみにたえるとき
いいわけをしないで だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて じっと屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろがふかくなり
いのちの根がふかくなるみつを
前回のお話
今回のお話
拝啓、みつを先生。
自分はたえることはしませんでした。
よくよく考えると、人から受ける悲しみも苦しみも批判も屈辱もすべて、「たえないといけないもの」ではないと思ったのです。
悲しみは置いておいても、人から与えられる苦しみ、批判、屈辱にはすべてそうされる理由があり、その理由の真の理解にこそ意味があるように思いました。
今回の件はこうでした。
タックル①: 昨日まで家族行事、そのあと休みなく片付けに家事、今日から仕事。そんなに休みなく動いてて大丈夫かと親に言われた。少しは、あなたにやってもらったほうがいいんじゃないかって心配された。
おれは、妻が言うことを「家族行事+片付け+家事+明日から仕事というのが大変だ」と理解しました。
ゆえに、お互いに大変だね。と返しました。「家族行事+片付け+家事+明日からの仕事」が大変なのはおれも同じだからです。
けど、妻が真に言いたかったのは、「家事が大変だ」だったのです。
帰ってきて片付けが終わって早々に、翌日の仕事の帰りが遅くなるからと、身を奮い立たせて翌日分の夕飯も作っていたようなのです。
そういった先のことを常に見据えてすることについて「家事が大変だ」と妻は言いたかったようなのです。
おれは、その日その日のルーティンしかやってませんので。
ゆえに、
タックル②: お互いってなに。大変なのは私でしょうが。なにお互いって。
につながったと。
そういうことのようなのです。
これを理解し、おれは謝りました。
あなたが言っている言葉の意味をきちんと理解しないまま、跳ね除ける態度を示したことを。
妻は怒るのをやめました。仲直りしました。
そしておれは思ったのです。
人から受ける悲しみも苦しみも批判も屈辱もすべて、無条件に耐えればいいというわけではないと。うんうんうなずきんになってはいけないと。
うんうんうなずきんをするならば、きっと眼の色は乾くだけ、いのちの根もきっと深くなんてならないと思ったのです。
だから、おれはそういうときは、なんだこの悲しみ?苦しみ?批判?屈辱?そのうらにある相手の気持ちはなんだ?これはたえるべきものなのか?そういう自問自答の繰り返しを踏んだ上で、耐えるべきものは耐えることにしたいと思ったのです。
みつを先生。
先生はきっとそういうことを前提にして言いたかったのですよね。
危うく言葉尻だけをとらえて、眼の乾いたうなずきんになるところでした。
ぜひ、この詩を書かれた時の先生のお気持ちをお聞きしたいです。
敬具

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拝啓、みなさま
そんなこんなで仲直りできました。コメントくださった方、ご心配くださった方、ありがとうございます。
前向きにやっていきます!
敬具