(余談)千鳥ヶ淵の桜ってきれいだよなぁ。貸ボートで花見したい。
って小学校5年生?の時におれが作った川柳。この季節になると思い出す。
父親の仕事の都合で転勤族だった自分は、小学校5年生のときに転校が決まったのだった。当時3回目の転校だったが、とても悲しかった。
友達と別れなけらばならないことを両親に聞かされた夜はものすごく泣いた、翌朝、別れることになる友達たちには気づかれまいと、気丈にふるまって、がまんできなくなったら隠れて泣いた。
当時川柳を読みましょう!みたいなのを授業の一環としてやってて、別れもあれば、出会いもあるさと、新しい土地でもまた仲良い友達もできるはずだと自分に言い聞かせて作ったんだったと思う。
そういえば、あのときおれのお別れ会で、人生で初めての胴上げをしてもらったんだった。あの頃のみんなは元気だろうか。卒業アルバムも無いから、顔も名前も記憶にあるものしかない。その後の人生で再会できたものはいない。
ゆえにおれに幼馴染はいない。
そんなこともあって、家族や子供達には同じ思いはさせまいと、東京をメインの戦場とするコンサルティング会社に入ったんだった。
この季節になって、家族連れで転勤する友人を見ると、おれの選択は正しかったと思うし、そうなってしまった友人、その家族を思うと心苦しい。
思うに、発令の一本で有無を言わせず家族が住む場所を指定する会社っていうのは、悪すぎないか。
それも合意の上で入社してるんだからいいだろう?と言えばそれまでだが。
転勤族であったがゆえに、新しい環境に飛び込む時の度胸というか適応力というかはついて、その点よかったとも思う。
転校っていうのはほとんどDeleat Allみたいなもんだから、その代わり通常の人と比べると、まっさらな状態から多くの人に出会える機会になったのもよかったとも思える。
おれの父親はそこのところ、どう思ってるんだろう。
なんてことを思ったのであった。